宇野常寛氏の『ゼロ年代の想像力』を読み始めた。
エヴァンゲリオンや漫画やテレビドラマなどのサブカルチャーに
全然興味がなくなっていた時に読んだ印象と、今では若干違う。
宇野氏の思考回路が少しは分かるようになってきた。
わしに対する分析も、なるほどそのように分析できるわけかと、
面白く感じる。
「大きな物語」とは伝統や戦後民主主義といった国民国家的な
イデオロギー、あるいはマルクス主義のような価値体系の
ことらしい。
物語とは、生きる意味や信じられる価値のことで、それらの価値が
崩壊した世界で、どう生きるかというテーマに挑戦している者として、
宇野氏はわしや宮台真司や東浩紀を分析しているようだ。
なるほどね。そりゃそのような気がする。
ニーチェの超人みたいな提案をしたいところだが、あっという間に
運動に絡め取られる人々を見ていると、やっぱりそれは無理だと
わかるんだよなあ。
慰安婦問題に対するアホ丸出しの狂信や、朝日新聞バッシングを
見ていると、益々、劣化、幼児化している大人たちにため息が出る。
東京オリンピックを目標にし始めた国民も、見たいものしか見ない
という後ろ向きの決断主義に嵌って、絶望への道をひた走っている
のだろう。
明日の議論は意義深いものになると思う。